ボランティア公演のこと、そして未来への思い

昨年末、これまで続けてきた、病院でのクリスマスボランティア公演が、できませんでした。

昨秋、病院の担当の方へ、今回は取り止める意向を伝えました。

「今は、集まって何かするということが全くできなくなりました」と、担当者の方から現状をお聞きしました。

この話をしたのは、まだ10月頃でしたので、今よりも落ち着いていたと思います。

長く入院されているご病気の方に、ひと時だけでも楽しみを・・・と願っても、動けない今。

できることはないか、できるようなスタイルはないか、考えていきたいと思っています。

例えば、今思いつくことでは、これまで行ってきたような団体で踊るのではなく、本当にさりげなく休憩所やご面会の場所で踊るとか・・・

元気じゃないと楽しむことできない・・・。

ただ、じっとして入院していないといけない日々、
痛みがあって辛い時も・・・、
それでも、少しでも体調が良い時に、
そばに楽しく幸せな時間があったら・・・
リアルに、人の体温が感じられる、エネルギーが伝わってくる踊りがあれば・・・

そういうシステムが存ることが許される時代を望んでいます。

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以下の文章は、当HPのボランティア活動ページの抜粋です。


<死ぬまで自分でありつづける>

ホリスティック医学の帯津良一さんの本、「一分間健康法」(ワニブックス出版・2014年12月25日初版・2016年4月10日6版発行)以前、読んでいたのを、再読しました。
「道化師」のところが、ずっと、気になっていたからです。154ページに、<死ぬまで自分でありつづける>という見出しがあります。
feelballetが、どうありたいか・・・
ここに、今私が考えることが書いてあるような気がしています。以下、本書より転載させていただきます。

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 私自身も作家でもないのによく原稿を書いています。短いのから長いのまで、まあじつによく原稿依頼が舞い込んできます。ありがたいことです。書き始めはいつも億劫なのですが、折り返し地点を過ぎるころになると心がときめいてくるのです。

締め切りが近づくにつれ、このときめきは弥が上にも膨らんできます。締め切りといえばすぐ思い出すのは「癌とたわむれて」(アナトール・ブロイヤード著・晶文社・1995年)です。アナトール・ブロイヤードはニューヨークの文芸評論家。

 前立腺がんの骨転移を告知されたとたんにときめきます。わが人生にも締め切りが設けられた。もはや一日一日がさりげないものではなくなった。危機の気配が漲ったというのです。

 ときめいて、よし!一戦交えてやろうと傍らを見ると、主治医がいかにも頼りなく見えるのです。がんのような手強い相手と戦うのにこれでは心細いということで、まずは主治医の交代を申し入れます。本当にそうですね。

 医療は戦いの最前線です。医師と患者は戦友の関係にあります。心を一つにして乾坤一擲を賭す関係ではありませんか。互いに一目も二目も置くことができて初めて戦友ではありませんか。

 また、入院生活を送るなかで、病棟の回診がなぜ医者と看護師だけなのだろうと訝しみます。占い師と道化師と詩人がいっしょに回診してくれたらと渇望するのです。なんともいえないいい組み合わせですね。

 そもそも医療とは治しと癒しの統合の上に成り立っています。医師と看護師だけだって治しと癒しの統合ができるはずなのに現実にはハードルに高いものがあるのでしょう。そこで占い師と道化師と詩人に力を借りようというのです。

 そして、次のようなひとりごとが自ら出てきます。

「病気であること、死にゆくこと。これは主としてかなりの程度まで、スタイルの問題だ。わたしは、病気の人たちーそして人間みないつかは病気になるーに次のことをいいたい。病気になり死に瀕したからといって、自分のなじんできた世界の終わりではない。自分自身でありつづけることはできる

 医療とは人間の尊厳を保ちつづけることをサポートするものだと思うようになりました。

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以上、原文ママです。

アストロジーボディワークを始めているので、占い師はできそうです^m^
誰か踊ってくれる人、募集しようっと!!

                                                                                                          Seri

photo by Yukimi Sakashita